こんにちは、薄紅葵(うすべにあおい)です。
年が明けて少しした頃、Kさんは、肺癌の終末期で意識が無くなりました。
少し前から、苦痛を和らげるため、点滴で鎮静をしていました。
ウトウトして過ごし、ご家族が声をかけると目が覚める状態が数日続いた後、意識がなくなりました。
Kさんは50代の前半、お子さんはいませんでした。
ご主人と2人暮らしで、近くに独居のお母さまがいらっしゃいました。
とても仲の良いご夫婦でした。
ご主人は音楽関係の仕事をしていて、シュッとしたオシャレな雰囲気を纏う方でした。
独身の多いスタッフの中には、仲の良いKさんご夫婦に憧れている人もいました。
スタッフの減る年末年始は、出来るだけ外泊を促していました。
けれども、その年末、Kさんは状態が悪くなってきていたため、外泊をすることは出来ませんでした。
大晦日、Kさんのご主人は、面会の時間が過ぎても残っていました。
Kさんのご主人に「こんな日までご苦労様、ありがとう」と、お年玉をいただきました。
(今は、お礼は必要ありません、又はお断りしますと明示してある通りです。)
その時もKさんは、大好きな人を見る少女のような目でご主人を見ていたことが印象に残っています。
年が明けて、意識がなくなったKさん、その後、手足が浮腫んできました。
浮腫みはさらに強くなり、結婚指輪が外せなくなることが予想出来ました。
薬指が血流不全とならないよう、結婚指輪を外したいとご主人に話をしました。
けれども、ご主人は強く拒否をしました。
担当医も、看護師も数回にわたり話をしましたが、納得していただけませんでした。
指輪を外せる期間は短いです。
そして、指輪は外せなくなりました。
数日後、Kさんの手指は更に浮腫み、いよいよ指輪をそのままにはできない状態になりました。
医師がご主人に電話連絡した後、カッターで指輪を切断しました。
夕方、面会に来たご主人は、Kさんのベットサイドで指輪を見ながら、声を殺して泣いていました。
その3日後、Kさんは息を引き取りました。
その後病棟では、病名・病状に係わらずアクセサリーは外していただくことになりました。
最後までお付き合いありがとうございます。
そしてまた、このブログに足を止めていたけるのを、心よりお待ちしております。