こんにちは、薄紅葵(うすべにあおい)です。
阪神淡路大震災が発生した日です。改めて、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
1995年(26年前)
当時20代の私は、関東の地方都市の総合病院に勤務していました。
病院は医療スタッフを被災地へ派遣する準備を進めていました。
テレビ画面を通して大変なことが起きていることは理解しているつもりでした。
けれども、テレビの中の出来事で、どこか他人事だったのだと思います。
その土曜日、救急外来に2歳を過ぎたばかりの子どもをおんぶしたご夫婦が来院しました。
ご夫婦は表情に乏しく、コートには泥汚れがついていました。
その子どもは、39、0度の熱がありぐったりとしていました。
いつから発熱しているかたずねると「わかりません」との答えです。
その後いくつかの、ここ数日の状態についての質問にも淡々と応答してくれました。
けれども、答えはほとんどが「わかりません」でした。
私はつい「ご自分の子どもなのにいつから熱があるかもわからないんですか」と語気を荒げて言ってしまいました。
するとお母さんが、「神戸から3日掛けて来ました。子どもがどんな状態だったのかわかりません。○○に住む親戚の家に行く途中です。気が付いたら子どもがぐったりしていたので、途中ここによりました。」
震災の被災者の方たちでした。
「ごめんなさい」としか言えませんでした。
表情が乏しく感じたのは、疲れ切っていたのです。
身体や服を汚しながら、子どもを守りながら、必死で移動してきたのです。
神戸から関東地方まで、3日もかかったのです。
ここ(病院)までたどりついてくれてよかったと思いました。
未熟な私は労いの言葉も、励ましの言葉もかけることが出来ませんでした。
その後
おんぶされていた子どもは入院となりました。
脱水を起こしていましたが、数日後には元気に退院したと聞きました。
きっと、今はどこかで元気に活躍していらっしゃることと思います。
おわりに
あの時には伝えられませんでした。
目指す通り親戚の方の家に行くのではなく、途中病院へよってくださり、本当に良かったです。
病院まで、よく頑張ってくださいました。
ありがとうございました。
安心して、治療を受けていただけていたらよいなと思っています。
最後までお付き合いありがとうございます。
そしてまた、このブログに足を止めていたけるのを、心よりお待ちしております。