こんにちは、薄紅葵(うすべにあおい)です。
Mさんは、肺の病気でした。
一段一段、階段を降りるように少しずつ悪化してゆきました。
風邪などの感染を起こすと、数段一気に悪化します。
良くなることはありません、少しでも悪化を遅らせるようにと治療をしていました。
Mさんは、入退院を繰り返していました。
その時も感染を起こし、酸素の投与と点滴による治療のための入院をしていました。
なかなか症状は改善せず、酸素の量を減らすことが出来ずにいました。
いろいろなことに気の回る、面倒見の良い、オシャベリ好きな明るい女性でした。
大部屋で療養中、調子の悪い中でも、同室の方をチョコッと手伝ったりしていました。
ロビーで他の部屋の方とオシャベリを楽しむこともありました。
そんなMさんを知っている患者さんは大勢いました。
ある日、Mさんの体調が一気に悪化しました。
個室へ移動になりました。
高校生の娘さんが、学校を休んで付き添いをするようになりました。
そして、付き添いの娘さんもほとんど病室から出て来なくなりました。
「Mさん、大丈夫?」
「Mさんに、早く戻ってくるよう伝えてね」
「娘さんは、ご飯どうしているの?」
Mさんの事を気にかけている患者さんは多くいました。
けれども、娘さんが病室から出て来なくなった頃から、ヒソヒソと話す患者さんはいても、面とむかっって尋ねてくる患者さんはいなくなりました。
Mさんの状態が悪くなっていることが想像出来ていたのだと思います。
そんな状況が1週間程続きました。
その日の午前中、突然「おかーさん」と娘さんの叫び声がしました。
そしてその後暫くの間、娘さんの「おかーさん、おかーさん」と泣き叫ぶ声が続きました。
その時、病棟中の喋り声が止みました。
テレビの音が消えました。
スタッフさえも、声を潜め身動き出来なくなりました。
娘さんの声だけが響き渡りました。
娘さんの声が聞こえなくなったあとも、病棟内は暫くの間、静まり返っていました。
病棟が静まり返るという経験は、先にも後にもこの時だけしかありません。
後から、当日Mさんを担当していた看護婦(当時)に聞きました。
霊安室からの帰宅時、娘さんは泣きながらもしっかりと、「ありがとうございました」と挨拶をして行かれたそうです。
その姿がMさんに似ていた、重なって見えたとのことでした。
最後までお付き合いありがとうごさいます。
そしてまた、このブログに足を止めていただけるのを、心よりお待ちしております。